箏・箏曲のれきし 日本では古来、弦楽器を「こと」と呼び、その原型は奈良時代直前に中国から伝来した13弦の箏で、雅楽など弦楽の合奏に使われました。 その後平安時代には箏の独創もされるようになり更に室町時代に入ると、ある程度箏曲としてのかたちも整い演奏されるようになりました。箏は主に宮中や寺社の儀式・宴遊などに使われ、貴族の趣味・教養として広がってきました。 江戸時代にはいると、八橋検校が現れ箏を独奏楽器として楽器や奏法の改良、楽式の定型化をはかり、現在の日本の箏の基礎を作り箏曲の発展に努めました。これにより、それまで貴族や僧侶中心の音楽であった箏を芸術音楽へと発展させ、箏のもつ繊細な美しい音色が「琴線に触れる」のたとえのように武士や裕福な町人の子女の心に響き、庶民の間に広がっていきました。また明治から昭和にかけて箏曲家宮城道雄が出現し十七絃の開発、新日本音楽の運動展開など作曲・演奏に活躍、新しい風を起こし、近代箏曲界の確立に貢献しました。 |
箏と琴はどちらも訓読みで「こと」と呼びますが、箏は琴とは原理の異なる楽器です。 |
箏は竜に似せられた楽器 竜は高貴な生き物と崇められていた想像上の動物で、体は大きな蛇に似て、4本の足、2本の角、耳、ひげをもち、全身鱗(うろこ)に覆われている。多く水中にすみ、天に昇り雲を起こして雨を降らすという。中国では、鳳(ほう)・亀(き)・麟(りん)とともに四瑞(しずい)として尊ばれる。竜神や竜王はこれを神格化したもので箏はこの竜に似せて作られたことに由来し箏の各部には竜頭・竜角・竜尾など竜にちなんだ名前が付けられています。(箏の姿参照) |
箏の絃は13本で、構えた位置から一番遠い絃から一・二・三……と十まで番号順に呼び 11番は「斗」(と)12番は「為」(い)13番は「巾」(きん)と呼びます。古くは一・二・三……の代わりに 仁・智・礼・義・信・文・武・翡(ひ)・闌(らん)・商・斗(と)・為(い)・巾(きん) と呼んでいました。 斗・為・巾はその名残です(箏の姿参照)。 斗・為・巾だけ残ったのは斗の代わりに十一では十と一を同時に弾く場合に区別できないため、絃名を一文字で表示する必要があったからです。 |
箏の稽古時にお師匠さんがコロリンシャンとかシャシャコーロリン・トンコーロリンなどと唱っているのを聞きますが、始めはこれってなんだろうって思いますよね。「口三味線」という言葉を聴きますが、箏にも昔から「コロリンシャン」とか「サーラリン」など楽器の音や奏法を口で唱える方法(唱歌 しょうが)があります。 コロリンは隣接した3本の絃を高い方から低い方へ順に弾いてできる音型の呼名 (唱歌)で、奏法のバリエーションはいろいろありますが コロ・リ・ンの三つの音は同じ大きさ同じ間隔で弾くのが基本です。 |
「生田流」 |
箏曲のような伝統音楽において本手(ほんて)とは本来の曲、旋律を意味します。そしてこの本来の曲にバリエーションを付け変化を持たせるために追加された曲、旋律を替手(かえて)といいます。本来の曲を縦糸とすると替手は横糸で織物の図柄が浮かび上がるのに似ています。第一箏、第二箏は基本的に本手と替手になりますが、曲によっては、第一箏と第二箏の旋律が曲の途中で入替わることもあります。 |
「手事」は、箏曲や地歌などの伝統音楽において、唄と唄との間に置かれた演奏時間の比較的長い器楽曲部分をいいます。1曲の中で独立した重要な楽章部分になります。唄が無く手によって演奏されることから手事といわれます。そしてこの手事を含んだ楽曲のことを手事物といい代表的な曲に「西行桜」「残月」「越後獅子」などがあります。 |
合いの手(あいのて) 上の手事と同様歌と歌の間に入れる、演奏時間の短い器楽だけの間奏部分をいいます。 |
地歌などの三味線曲に元の曲の旋律と異なる箏の旋律を付け加えることを箏手付(ことてつけ)といいます。 |
箏組歌”とは八橋検校により創作され、曲の主題に沿った数首(通常は6首)の和歌を組合せ箏の伴奏によって歌われる楽曲のことです。よく知られる曲としては、八橋検校よりずっと後年になりますが、光崎検校の秋風曲(あきかぜのきょく)、吉沢検校の千鳥の曲があります。千鳥の曲は『古今和歌集』、『金葉和歌集』から千鳥を詠んだ和歌二首で構成されます。 |
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